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ファミリー (バンド) : ウィキペディア日本語版 | ファミリー (バンド)
ファミリー(Family)は1960年代から70年代にかけて活動したイギリスのロック・バンド。ブルース・ロック、ジャズ、アシッド・フォーク、サイケデリック・ロック、プログレッシブ・ロックなど、様々な音楽を独自の感覚でクロスオーヴァーさせたそのサウンドは唯一無二のものであり、今日なお高く評価されている。またフロントマンのロジャー・チャップマンによる、独特のビブラートのかかったヴォーカルも強く印象に残るものであり、欧州圏を中心に熱心なファンを獲得した。 ==略歴== 1962年、ロンドン北東の町・レスターにて、ギタリストのチャーリー・ホイットニーがファリーナスなるバンドを結成したことがファミリーの原点である。数年の活動を経て、ヴォーカルのロジャー・チャップマン、ベーシストのリック・グレッチらを加え、1967年に本格的にロンドン進出を決定。この際、米国人のプロデューサー・キム・フォウリーのアドバイスに基づき、当時のヒッピームーブメントの隆盛を意識して、グループ名をファミリーと改める。リプリーズ・レコードと長期の契約を結んだ彼らは、この時点では上記の3人の他、ロブ・タウンゼンド(ds)、ジム・キング(sax)を加えた5人編成で成り立っていた。 1968年、トラフィックのデイヴ・メイスンのプロデュースにより、1stアルバム『Music in a Doll’s House』を発表。ヴァラエティに富んだサウンドとコンセプチャルな統一感を両立させた音作りが評判を呼ぶ。続く1969年の2ndアルバム『Family Entertainment』は商業面でも成功を収め、直後に初の米国ツアーも実施するが、その途中でグレッチがブラインド・フェイスに加入するために脱退。後任のベーシストにジョン・ワイダー(元エリック・バードン&ジ・アニマルズ)を迎え、イギリスに戻ってローリング・ストーンズのハイド・パークのコンサートや、ワイト島フェスティヴァルでプレイする。この直後に、行動面で問題があるとされたキングが解雇され、マルチプレイヤーのポリ・パーマーが後任として加入。1970年には3rdアルバム『A Song for Me』、4thアルバム『Anyway』の2枚を立て続けに発表。この年は再び米国(サンフランシスコ、ボストン)ツアーも行い、音楽面では成功を収めるが、その後今度はワイダーが脱退し、後任にモーガル・スラッシュからジョン・ウェットンが加入する。ヴォーカルも取れる彼の加入はサウンドに更に幅を持たせ、5thアルバム『Fearless』(1971年)、6thアルバム『Bandstand』(1972年)の2枚を制作。これらはユニークな変形ジャケットでも話題になった。しかしその後ウェットンはキング・クリムゾンに引き抜かれ、またパーマーもグレッチとの新グループ結成のために脱退。1973年、ジム・クリーガン(b)、トニー・アシュトン(key)の両名を迎え、自ら設立したレーベル「ラフト」から7thアルバム『It’s Only a Movie』を発表。しかし、このアルバムの発売とほぼ同時にグループの解散が発表され、その6年間の活動に終止符が打たれた。 解散後、バンドの中核であったチャップマンとホイットニーは、ボブ・テンチ(元ジェフ・ベック・グループ)やニコ・マクブレイン(後にアイアン・メイデンに加入)を加えストリートウォーカーズを結成して1977年まで活動。その後ソロに転向したチャップマンは、特にファミリーの支持が高いドイツに拠点を移して活動したが、2009年に音楽界からの引退を発表している。
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